panproduct.(パンプロダクト)ロゴの秘密&幻のプリクラ写真集



今日はパンプロダクトのロゴのお話を1つ。
秘密ってほど、たいそうな話ではございませんが・・・。

えーと、手前味噌で恐縮ですが、
有限会社パンプロダクトは2002年11月22日に設立しまして〜。。。
(おー、もう10年も経つのかぁ・・・)

で、そんときに以前から懇意にしていた、
match and company, inc.(マッチアンドカンパニー)主催、
アートディレクターの町口覚(まちぐち さとし)
さんにお願いして、
パンプロダクトのロゴを作ってもらいました。

ご存知に方もいらっしゃるかとはおもいますが、
町口さんは、写真作家の写真集や映画・演劇のグラフィックを
手がけているのアートデレクターさんです。



当時、彼と色々、企てを試みていたのですが、その中でも印象深い話があります。

1995年7月、
アトラスという会社がプリント俱楽部(プリクラ)を発売しました。
ほどなく全国のゲームセンターに設置され、
女子高生を中心に大ブレイクしたことは皆さんご存知のことかとおもいます。

自分たちだけで、気軽に写真が撮れて、すぐにできて、おまけにシールになってる!
コミュニケーションツールとして、1つの文化になりました。

で、このプリクラって考えてみたら、
カメラ(デジカメ)とプリンターがセットなっている機械、、、つまり立派なカメラなんです。(画像は悪かったですがれっきとしたカメラでしょう)

私はプリクラの出現を写真文化の変革期と感じ、
写真文化的なお仕事をされている町口さんにプリクラで写真集を作ろうとバカな企画を持ち込みました。プリクラを一万枚集めて写真集をつくろう!的な・・・



10,000カットが掲載されてる写真集って、、、それだけでスゴくないですか?
それにプリクラって、複数人で写るじゃないですか?
ってことは、20,000人以上の顔が写っている写真集になりますよね。(ギネス級ともいえる写真集になるハズ!)

そのおバカな企てに町口さんは賛同してくれて、企画を出版社に持ち込みまれました。
すると、とある出版社が興味を示し出版することになったのですが、、、、、

残念ながら、、、、途中で立ち消えになり、、ボツ企画になりました。。。

この企てが1996年でプリクラのピークが1997年ですから、
出版されていたら、必ずウケていたとおもいます。(あとの祭り・・といいます)

同時期にギャル系ファッション誌eggが創刊されて、
渋谷の女子高生が自分たちが掲載されている雑誌を買うという現象がおきていた時代感を考慮すると、自分たちの顔が載っているプリクラの写真集は買ったでしょうね。

つまり、2万人のお客さんがいたともいえます。(1,000円以内の売価を想定していた)
バカ売れしたら、おもしろかったのに・・・。

そもそもカメラマンのくせに、
自分でシャッターを一枚も押さない写真集の企画を持っていく、ってのも
どーかとはおもいますが・・・・。(その頃からヘンでした・・)

今回の話に登場していただきました町口覚さんは、
現在でも写真文化の活動をされていますので、是非、彼のブログもご覧ください。
→match and company, inc.

さらに文化的な写真集の販売もされています。買ってあげてね〜。。
→bookshop M

あ、そういえば、町口さんが自腹でつくった40+1 Photographer’s Pin-up(bookshop M)に私も参加したんだった!(すっかり忘れてるぅー)



【追加まめ知識】
ちなみに・・ですが、、
プリクラ出現の伏線として、数ヶ月前にカシオ計算機が、現在のデジカメの祖となるQV-10が発売(1995年3月)されます。
すぐに画面で確認できることがうけて大ヒットします。
この頃から時代は、デジカメ化の方向に進んでいたんですよねぇ〜。。



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